ある傍観者の備忘録

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時は金なりって実際いくらだ?

少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んず可からず。とか、タイム・イズ・マネーとかどの文化においても時間はあっという間に過ぎるから大事だという格言が存在する。

そりゃわかっているけど、では一体いくらなんだ?と、疑問に思った事はないだろうか?

一番簡単なのは、時給だ。自分が一番高く貰える時給が自分の時間辺りの価値だいうのはわかりやすい。専門性が高いほど、自分が提供できるサービスが貴重であればあるほど時給は上がっていく。これは他人が自分の時間をいくらで買ってくれるかという基準である。

次にわかりやすいのは、自分が時間を節約するためには幾ら払うかという金額である。特急券やファストパスなどで30分短縮できる事に追加料金を払うというのはお金で時間を買っている例としてはわかりやすい。それ以外にも全自動の洗濯機を買ったり、全部自分で作らずに中食にお金を出したり。さらにはお手伝いさんやベビーシッターを雇ったりすることも時間を買うという作業である。節約できる手間と時間にどれだけお金を払えるのか。こうした行為には自分が一体自分の時間にいくらの値段をつけるのかというのが現れる。

さて、ここで面白いのは、二つが非常に密接しているようで実はそこまで関係ない事である。というのも、これは資本主義では必ずしも時間給で全ての収入が決まるわけでないからだ。

起業家を考えるとわかりやすい。時給換算では一生かかっても稼ぎきれないお金を手にできたりする。となると、それらの人はむしろ時給よりもはるかに高い金額で自分の時間を節約する事にお金を出す。非常にわかりやすいのはプライベートジェットかもしれない。勿論、見栄なども多分にあるだろうが、贅沢しないことで有名なバフェットもプライベートジェットを買うときの理由として時短をあげている。

となると、ここで一つの仮説が立てられる。時給が低くて、それ以外の収入がない場合には時間の価値は時給に近い。というのも、時短をしようにも時短する方にお金がかかるので全部自分でやらないといけないからだ。これが貧乏暇なしと言われる所以である。一方、時給が高いかそれ以外の所得がある場合には時間の価値は自分が決める。そのため、物凄いお金持ちであればなるほどとてつもなく大きな金額になるのだ。

とはいっても、流石に時間の価値には限度があるはずだ。というのも、お金持ちにも支払う金額には限度があるからだ。では、値段が決定されるメカニズムを経済学的に考えてみるとどこまで値段が上がるのかのイメージがつきやすいので、需要と供給という概念を使って考えてみよう。

みんながアウトソースしたいものは需要が多いので、実は需要と供給から比較的安くアウトソースして時短ができる。炊飯器、全自動洗濯機、掃除機。進化系の家電は大体この部類に入る。誰もが欲しがる時短グッズが手に届く値段になれば、一家に一台というぐらい大きな需要が生まれるため供給側も安く提供できるほどの経済規模が生まれる。

しかしながらさらに時短を望むと、対価として支払う金額は大きくなる結果時短を望む需要は減る。経済的負担に見合う時短と感じられるほどお金を持っている人が少なくなるからだ。となると、供給する方も、需要が少ない分、一人当たりの収益を上げないと商売が成立しない。そうなると、同じ程度の時間を節約するにも最初の段階に比べて大きなお金がかかるようになる。

そして、究極になると、ごく限られた人しかニーズがないものになるが、ここでも需要と供給のバランスが取れるところでビジネスが成立するのである。つまり、値段がそこまで高くなくてもそれに見合う需要がなければ成立しない一方、値段がべらぼうに高くてもそれに見合う需要があれば成立する。これがコンコルド(音速飛行機)がビジネスとして成立しなかったのに対して、プライベートジェットが成立する所以である。

ここで気をつけなければいけないのは、供給が簡単でないということが前提条件としてある事である。誰もができるようなことを代わりにやってくれる代行サービスなどであれば決まった時給さえ払えばいくらでもやってくれる人は出てくる。つまり、供給が多くなるので値段が上がる事はない。という事は、供給が難しいものでなければそもそも時間の価格は暴騰する事もない。

その一方、提供できる病院やお医者が限られる最新の高度医療などは値段がどんな高くてなっても成立するのだ。供給は限られるし、明日死んでしまう命であれば、どんなお金持ちであっても全財産をつぎ込んでも良いくらいだからである。

実は、高度医療のケースが示唆するように、時間の価値は残された時間にも逆相関している。とはいっても、世の中を見ると必ずしも年をとればとるほど時間の価値が上がっていくわけでもない。実際、80歳のおじいさんおばあさんがみんな時短にお金の糸目をつけないなんていう話はあまりに聞かない。というのも、実は時間をいくら買ってもそれを使う先がなければ時間を買う意味がないからである。

つまり、時間はお金を持っている人の時間が限られており、節約できる時間を他に使う価値がある時に初めて成立する。その時、お金を持っている人が価値を見出す供給の限られた時短サービスがあってこそ時間の価値は暴騰するのだ。

そして、時間の価値がどこまで上がるかは、時給などという客観的な価値ではなく、自分の財力の範疇の中でどれだけ自分の時間に価値があるのかという主観的なものによって左右されるのである。

結局、時間の価値は最終的には自分が決めるのだ。でも、わざわざ時間なんかしなくても逆に時間が余ってしょうがないよなんていう寂しい将来だけは避けたいものだ。

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