あまりにも悲観的過ぎるかもしれないが、第3次世界大戦は既に始まっている。確かに、法律的には宣戦布告してようやく正式に戦争が始まるので、国際法的にはまだまだ第3次世界大戦は始まってはいない。
が、歴史的には、社会の不安定からちょっとしたいざこざが産まれ、偶発的な暴力によって具体的な戦争へとエスカレートしているだけであって、別に一時点から戦争が始まったなんて言えるものではないのは明白だ。
そこで、翻って今日を見てみよう。
技術革新によって世の中は便利になったが、その一方貧富の差は拡大している。貧しい人が多数になってくると、社会の不安定さはまし、政治的にも自国の外に仮想敵を作って煽るようになる。と言うのも、そうしないと自分に矛先が向かってくるからだ。
で、最初はお互い鬱憤を晴らしているだけのつもりだったのが、知らないうちに自己暗示的に相手は酷いやつだと錯覚し始める。そして、直接的な関係性がそのうちにきれると、残りは妄想の世界になるためにますますそのサイクルに拍車がかかる。
第2次世界大戦の日本をみてもよくわかるが、鬼畜米英と言って相手を罵り、本当に捕まったら生き地獄を味わされると信じていた日本人も多かったのだ。実際にアメリカ人に接したことがある人は流石にそこまで信じなかったとは思うが、アメリカ人を見たこともあったこともない人からすればそんなもんだと信じるほかなかったと思う。
現在は移動の自由があるおかげで、まだまだお互いのことを知ることができるのは不幸中の幸いだ。実際に、中国人が日本に初めてきて、日本を鬼畜でないと知ってくれることによって日中関係は少しは良くなっているような気がする。
しかしながら、残念ながら社会全体としてはそうした移動の自由のない層が少しずつ増えてきている。ネットの世界でしかお互いを見聞きしないまま、罵りあいがエスカレートしてきている。
そして、社会状況が一向に良くならない中、政治家は自分たちの失政に目を背けさせるべく他国への批判を声高に叫ぶ。そして時間が経てば経つほど、大多数の人はそんな言説に乗って外への怒りを滾らせるのだ。そして、政治家が目をそらせるつもりで言ったことが、今度は政治家が従わざるを得ない負のエネルギーとなって政治家を縛り始めるのだ。
残念ながら、政治家の関心が世の中の不公平を改善して、国内の不安を根本的に取り除く方向に行かない限り、このサイクルは社会は後戻りのできないところまでいってしまうのが現実である。
社会の不満を日本との問題にすり替えようとしている韓国でもそうだし。中国を仮想敵として声を上げ始めたアメリカも同様である。残念ながら、日本、中国を含めて世界中の国が同じスパイラルに入っていっている。
そして、現状では後戻りができないというところまで来ているため、既に第3次世界大戦が始まっていると言えるのである。
残念ながらその来るべき戦争がどんな暴力的なものになるであろうかはまだ想像できない。むしろ、すべてバーチャルで解決してくれるなら有難いことである。
が、そんな楽観はできない。何故なら人間キレると、暴力に走るからだ。そして、誰も止めるものがいない国同士の暴力では途中で止まることは少ない。
そんな世の中、どう生きたものだろうか。殻にこもったら安全に放置してくれるほど甘くもないのが悩みどころだ。
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