エロ・グロ・ナンセンスというのは、昭和恐慌の時に起きた扇情的なお下劣な文化的風潮のことを指す。出口のない暗い絶望と虚無感を背景としていたと説明されるように、経済状況が悪いと人々はより動物的な感情に訴える扇情的なものを好む。エロチズム、グロテスクなどは固より、どうでも良いことを祭りあげて楽しんで鬱憤を発散するのだ。
どうしてこの言葉が気になったというと、今#me too運動の流れでこれまで週刊SPA!に掲載されていたヤレる女子大生ランキングの記事が話題になっているからである。
将来に希望が持てないとき刹那的・享楽的な生き方を求めるのは今でも同じである。週刊SPA!と言えば、お下劣といえばお下劣ではあるが、そのような社会的ニーズがあってこそ成立していた雑誌だと思っていた。どうやってお金を少しでも多く儲かるのか。どうやったらモテるのか、ヤレるのか。
そんな週刊SPA!が毎週、毎週同じような記事は書いていたのにも関わらず、今回は心ある女性の目に止まって批判を受けたのだ。大衆の目にさらされた今、差別助長の言説として非難されている。今まで、社会的弱者である男性の鬱憤のはけ口としてお目こぼしされているものかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
では、週刊SPA!みたいなものすら許されない時代の行く先はどうなっていくのだろう。というのも、記事自体に対する非難は理解できるものの、もう一方では言論の自由というのも存在するからだ。あまりにも厳しい批判とそれに続く自主的な言論統制は、戦前の言論統制とはいかないまでも息苦しさが増した社会に繋がりかねない。
また、そんな新時代、人々の鬱憤のはけ口であるエロ・グロ・ナンセンスはどうなっていくのかが心配だ。公の場でのエロとグロがまずターゲットにされて、チョイエロとチョイグロに格下げされるに違いない。そして、禁酒法時代のお酒がそうであったように、本物のエロ・グロは地下経済で盛り上がるはずだ。その一方、公衆の放送はナンセンスという無難なチョイスのみが生き残り、罪のないお笑いの延長みたいな番組だらけになるに違いない。
そんな普段の生活が無味無臭なものとなり、犯罪の温床となりうる状況を作り出すような方向で良いのか。不倫がなければ多くの文学は成立していないなんて言っていた物書きがいたが、エロ・グロが無かったら、アートどころかインターネットだってここまで普及していないのも事実である。
一般の人全員が簡単に買える状況は変えるべきだとは思うが、年齢制限とか販売場所の限定などでもしつつ、どぎつい表現でも許される社会であって欲しいと思うのは自分自身が時代遅れだからなのだろうか。
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