小説より奇妙な現実をより面白く。ある傍観者の備忘録

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これからは暴力の時代だ

最近は少しずつ暴力の時代に後戻りしているように感じる。

歴史をみる限りこの流れは暫くは止まりそうにない。技術革新によって生産性が上がり、物価は安くなる一方仕事と給料もどんどん無くなっていく。そして、貧富の格差は益々広がり、最終的には大勢の人の生活が耐えられないレベルになっていく。

勿論、昔と違って耐えられないレベルの生活自体が底上げされているとは思うが、不平等感が増せば増すほど、社会の不安定レベルは上がっていく。そして、いずれは鬱憤を晴らすべく暴力に頼るようになるのである。

ここで面白いのは暴力と言っても、実は色々な種類があることだ。

一番分かりやすいのが、犯罪の増大だったり暴動などの暴力だ。これは決して先進国であっても無縁ではなく、犯罪の数が増えすぎたりして警察の力が及ばなくなると突如として社会全体が犯罪に満ち溢れる可能性を秘めている。そして、フランスのケースで見られるように、社会に対しての不満が大きくなりすぎると暴動に結びついたりもする。

その一方、表向きにはより安定しているように見えるが、国家というより大きな暴力装置も存在する。この場合、国が人々の不満や社会の乱れを法律の遵守を強制することによって抑え込む。これまでの日本もどちらかというとこのパターンだが、究極的には全てを国がコントロールすることによって社会を統制していく。

資本主義のルールからは逸脱するが、税金という名によって富を金持ちから巻き上げて再分配を促すこともできるし、「パンと見世物」、現在でいうと生活保護やベーシックインカムに見られるような最低限の生活の保証を行うことによって社会的不安定を軽減していくこともできる。

不思議な事に、現在の日本では犯罪の増加と国家の強制力の増大という両方の側面から暴力が強化されつつように見える。しかしながら、この両者は最終的には二者択一にならざるを得ないこともあり、これからの日本はどっちの方に向かうのかは非常に興味深い。

強い国家でない限り自分の身は自分で守らなければいけなくなる一方、歴史的に強い国家は結果的に外に対して暴力を行使することが多い。結局はどちらの暴力を選ぶのかという究極の選択なような気がしてならない。

圧倒的に強い国家が全てを主導していくのか。それとも国家の力は限定的に抑え、民主主義的に個々人が暴力を行使する事によって社会の不平等を徐々に無くしていくのか。

どの道を選ぶのかは我々自身にかかっている。


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