「子供を産まない人間に価値は無い」という事を直接的、間接的に言う人が絶えない。
少子高齢化やら、LGBTやらの問題が出てくる度にこの言説を聞かされている気がする。そして、この説を聞く度にどうやったらこういう結論に辿り着くのかを考えさせられる。
確かに、子供がいないことは少子化に繋がるし、経済的な消費を社会的に減らす方向に向かわせるから国力は落ちる。でも、人間としての価値が無いとまで言い切れるのか?ただただ子供を設けないという選択をして事で、亡国をもたらす非国民として扱うべきなのか?
まず、動物的な意義を考えてみよう。昔読んだ利己的な遺伝子という本によると、動物的には種としての遺伝子が残ればよいらしい。猿山を例としてとするならボスザル以外の男は子供を持てなかったり、また、アリやハチなどを見れば女王しか子供を産まない。つまり、動物的には個々で子供を持つのは決して当たり前ではないのである。人類はもう既に70億人もいて地球を埋め尽くしており、ゴキブリみたいな繁殖力を発揮している。そんな今、個人としては子供を持たない選択肢は全く問題ないはずである。
そうは言っても国力が下がるという人がいる。
確かに国力は下がる。でも、日本の人口はまだまだ11位。以前は確かにランキングのさらに上にいたが、国土面積の62位に比べればまだまだ多いし、経済力で言えばまだまだ3位。お隣の中国と比べると小さく見えるが世界的に見ればまだまだ有数の大国である。しかも、人口が半分になってもイギリスやフランスぐらいの人口はいるのに何を心配しているのだろうか。
少子高齢化は深刻な問題だ。
これは否定できない。右肩上がりの人口と楽観的な経済予測に基づいて無計画な制度設計をしたツケが回ってきているのは事実だ。でも、それって子供のいない人たちの責任か?というより、先立つ先輩方が自分の無責任さを経済的だけでなくモラル的にも若者世代に負わせようとしているだけではないのか。
そもそも、少子高齢化が問題であるならば、少子化だけに焦点をあてて高齢化は棚にあげているのがよくわからない。逆に医療費を削って人が無理に延命をせずに自然に死にやすいようにしてあげるのもよいのではないか?もう再生産もできずに人間的価値を失っている事では同義なはずの老人に大量の税金を注ぎ込むことが日本の未来に繋がるのかを問うべきなのではないか?
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